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無名ブランドからハイブランドへ!プラダの歴史
2015年11月7日
プラダは、イタリアのミラノで1913年に「プラダ兄弟商会」として設立しました。創業者はフラテッリ・プラダとマリオ・プラダのプラダ兄弟。兄弟はヨーロッパやアメリカを旅しながら、皮革製品、銀器、クリスタル、アクセサリーなどの洗練された製品を集めて、それを素材として鞄を製造販売していました。次第にプラダの鞄はミラノの上流階級で話題となり、大きな人気を博すようになっていきます。
一時は倒産寸前まで人気が低迷しますが、1980年代シューズやコレクションを発表。イタリアを代表するブランドとして、世界的に知られるようになっていきます。ここでは、プラダの歴史を時系列でご紹介します。
プラダの黎明期1913年~1958年
1913年に設立したプラダは、斬新で洗練されたデザインがミラノで受け入れられ、イタリア王室ご用達のブランドとなるまでに成長します。しかし、1958年のマリオの死後、娘のルイーザがお店を継ぎ、皮製品の伝統店として続きますが、人々のライフスタイルの変化に伴って人気が低迷、倒産寸前まで追い込まれてしまいます。
プラダの復活1978年~1983年
かつての人気がウソのように人気が低迷したプラダ。転機が訪れたのは1978年。マリオの孫娘であるミウッチャプラダと夫のパトリッツィオ・ベルテッリがファミリー・ビジネスを引き継ぎ、「ポコノ」と呼ばれる軽くて強く、防水性に優れたバッグを開発します。リュックサックなどのカジュアルな鞄を制作し、これがまたたく間に人気を博しました。そして、倒産寸前の頃がウソのようにファッションブランドの最前線へと返り咲きます。1983年には新しくシューズの開発にも取り組み、独特なデザインが評価されブランドとして確固たる地位を築きました。
世界的なハイブランドへと躍進!1988年~
1988年にはレディースコレクションを発表。翌年にはウエアラインがスタートし、ファッションブランドとして大きな成功を収めます。セカンドラインのミュウミュウやメンズ・コレクション、スポーツラインなど80年代後半から00年代にかけて、どんどんと新しいラインを打ち出し、世界中にファンを持つハイブランドとして成長。その人気は今も衰えることなく、ハイブランドを代表するブランドとして世界的に愛され続けています。
2013年には創業100周年を迎えたプラダ。その年の春夏コレクションでは、ジャポニズムをテーマに掲げ、和服をイメージしたコレクションを展開しました。銀座、南青山などにフラッグショップを構え、日本でも上質で高級感のあるブランドイメージが浸透。プラダは、日本でも女性の憧れのブランドであり、高感度な女性を中心に不動の人気を確立しています。