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高貴な者だけに持つことが許された「金」の歴史
2015年11月9日
権力や富、名声の象徴として長く愛された金。人類の歴史にはたびたび金が登場し、大きく歴史を動かすこともありました。土地や時代によって意味も用途も変化した金ですが、その魅力だけは変わることなく連綿と受け継がれています。金が歩んできた歴史を辿ってみましょう。
金の歴史は古代メソポタミア・エジプト文明にもあった
エジプトで金といえば、かの有名なツタンカーメンのマスクや棺を連想される方も多いと思います。古代エジプトでは権力者がこぞって金を集め、富と権力の象徴として飾り立てるために使われました。そのため民間では金がまったく流通せず、たとえ民間人が金を見つけたとしても権力者に差し出さなくてはならないほどに価値が高まっていたのです。
紀元前6000年頃に栄えた古代メソポタミア文明でも、金が使われていた形跡があるそうです。農耕民族が発展し、国を治める地位に立つ人物が出てきたことで古代メソポタミアには身分制度が生まれました。高い地位についた人物は、自分の力を誇示することの一環として金を求めたのです。
日本に最初にやってきた金は金印「漢委奴国王印」
古代日本に最初にやってきた金は、日本が漢(現在の中国)へと使者を送った際に授かった金印「漢委奴国王印」(かんなのわのなのこくおういん)だとされています。日本史の教科書にも掲載されているので、名前をご存知の方も多いでしょう。平安時代まで日本では金が採掘されず輸出に頼りきりでしたが、749年に奥州(現在の東北地方)で砂金が採掘されてからは状況が一変します。日本は金を輸出するようになり、装飾品や建造物にも金箔がふんだんに使用されるようになりました。後に唱えられる「黄金の国ジパングのモデルは日本ではないか」という説を支える根拠の1つにもなったそうです。
中世~近世の海外では、金を求めて旅立つ人物も
イタリアの冒険家であるマルコ・ポーロが「東方見聞録」の中に記した黄金の国ジパングは、日本がモデルだとされていることは先に紹介したとおりです。金が採掘され、奥州平泉の中尊寺金色堂をはじめとした建造物に金箔を使っていたことがさまざまな国を経由し、イタリアのマルコ・ポーロにも伝わったとされています。
1848年にペルーや中央アメリカで産出されるようになった金を求めて、金採掘のために移民が移動する「ゴールドラッシュ」という現象が起こりはじめました。このためペルーや中央アメリカにもともと住んでいた原住民が追い出され、金鉱の所有権をめぐって戦争が起こされるという悲しい出来事もありました。
現代では、金の価値が多様化している
現代において金は、香港やチューリッヒ、ニューヨークといった世界各国の市場で厳正に売買されています。リアルタイムに価格が変動し、決められたルールの中で取り扱われることとなった金には、さまざまな価値が生み出されました。装飾品や通貨としてばかりではなく、工業用品や医療品としても金は大活躍しています。携帯電話の基盤にも金が使われていることはご存知でしょうか。
また、金は実物資産としての価値も持っています。世界各国で価格がつけられ、物であると同時にお金としての価値も与えられている、めずらしい資産であるといえるでしょう。
金の歴史は人類の文明の歴史と同じくらい長く、さまざまな出来事を抱えています。何気なく使っているアクセサリーも、もしかすると長い時を過ごしてきた金なのかもしれませんね。
ゴールドウィンでは、金やゴールドアクセサリーの買取を行っています。使わないゴールドアクセサリーの買取をご検討されている方は、ぜひゴールドウィンをご用命ください。当社ホームページでは金買取のその日の相場を掲載しておりますので、買取を希望されるお客様はホームページのチェックもお忘れなく。
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この記事の監修者
鑑定士歴20年 中村 達也
ゴールドウィン 梅田店・難波店
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